マトリクスサラウンドの難しさ

いわゆるPro Logicに代表されるマトリクスサラウンドに対応したいところだが、これがなかなか敷居が高いことがわかってきた。
マトリクスサラウンドが何かについては前回( http://d.hatena.ne.jp/mjt/20140518/p1 )にも入れているが、要するにLとRで逆相となる音声を印加すると、前方スピーカーではなく後方スピーカーから音声を出力してくれるエンコード方式となる。単純に逆相にするだけではうまく行かないので、ADX等の用にディレイラインを使用した多少真面目なエンコードが要求される。

マトリクスサラウンドに対応する動機

ゲーム音声をマトリクスサラウンドエンコードで出力することで、エンドユーザの持っているサラウンド設備をそのまま生かすことが可能となる。
マトリクスサラウンドエンコードによって、ゲームは前方2ch、後方2chの計4chを仮想的に持つことができ、プレーヤー周囲での音源の回転や音源の頭上の通過などを良く表現できる可能性がある。
プレーヤがヘッドホンを装備していることを仮定できるならば、HRTFを用いた(オブジェクトベースの)エンコードを採用することもできるが、この方法ではスピーカーのユーザーにメリットを提供できない。
マトリクスサラウンドエンコードでは、単一のソースにより、(ユーザ側が適切なデコーダを装備していれば)ヘッドホンとスピーカーの両者に対応することができ、それぞれバーチャルサラウンドをサポートしていればその恩恵を受けることができる。
バーチャルヘッドホンと異なりバーチャルサラウンドスピーカーはあまり認知されていない気もするが、Razer Leviathan( http://www.razerzone.com/jp-jp/gaming-audio/razer-leviathan )のようなDolby Virtual Speaker等が有る。
様々な製品を試聴してみたところ、どうやら既存の"ステレオ音声のサラウンド化"機能の多くはPro Logicエンコードでそれなりの効果を発揮することがわかっている。このため、ゲーム側にPro Logic風のエンコーダを追加することで、2ch音声を出力しつつ(環境さえ整っていれば)サラウンド感のある音声を提供できると考えられる。

意外と2ch出力ができない問題

が、しかし、意外と2ch出力ができないという地味な大問題が浮上している。
例えば、"サラウンド環境で遊んで欲しいのでHDMIホームシアターに接続してください"のように指示をして接続してもらったとすると、OS側で2ch出力をしても8ch音声ストリームで2ch出力をしてしまう。(特にPS3/PS4のようなゲームコンソールでは2ch出力を強制する手段が無い)
AVアンプは賢いので、8ch音声に対して(本来2ch用のシステムである)Dolby Pro Logic IIを作用させることはできないようになっている。このような環境では、ディスクリートマルチチャンネル出力を行うしか無いが、2ch出力のみを通してサラウンド音声を提供するという当初の目論見は実現できないということになる。
これは、エンドユーザがS/PDIF経由のDolby Digital LiveやDTS Connectを使用している場合でも同様となる。Dolby Digitalで実現される5.1chのうち2ch分だけつかってDolby Pro Logic音声を転送しても、AV Receiverはデコードしてくれない。
つまり: ゲームはディスクリートマルチチャンネル出力も可能な限りサポートした方が安全であると言える。
では、マトリクスサラウンドをサポートする意義自体が無いのかというとそうでもなく、単に"システムのサラウンド機能を有効にせよ"と指示するだけで、システムの備える仮想サラウンドシステムを活用できる可能性がある。HRTFを用いたエンコードはそれなりに負荷の掛かる処理なので、ゲーム側の負荷を軽減しつつサラウンド表現を行える可能性を提供するという意味では、依然お得なソリューションと言える。

Pro Logic II以外のマトリクスサラウンドはどこに消えたのか問題

結論から言えば、Pro Logic II以外のエンコードをサポートする意義は無い。
例えば、YAMAHAの最新のAVアンプでは、

  • Dolby Pro Logic
  • Dolby Pro Logic II / IIx
  • dts Neo:6

をサポートしている。
このうちDolby Pro Logic IIはDolby Pro Logicの拡張で、後方スピーカーが1ch分しかないDolby Pro Logicを、後方2スピーカーに拡張している( http://kanaimaru.com/theater/a34.htm - 実際にはDolbyはPro Logic IIの公式エンコーダを提供している)。
dts Neo:6はDolby Pro Logic IIとは異なるエンコードと言われているが、これをサポートするのは(一般にはHDMIをサポートした)高級機に限られる。例えば、YSPシリーズでも下位機種にあたるYSP-1400ではPro Logic IIのみのサポートに滞っている。
世間には、dts Neo:6しかサポートしていない環境は事実上存在しない。ASUSマザーボード等に見られるdts Premium Suiteを備えたPCは例外的に、Pro Logicをサポートせず、Neo:6のみをサポートする。
他にSRS Circle Surroundと呼ばれる方式も存在する( https://twitter.com/okuoku/status/490875234287775744 )が、これは公式にDolby Pro Logicとの再生互換を謳っているため、これといって着目する動機が無い。SRSは既にdtsに買収されており、DTS Circle SurroundとしてVIZIOサウンドバー等に採用されている。

"野良サラウンド"をどう扱うのか問題

(あとでちゃんと書く)
音響システムの"サラウンド"ボタンは実際にはPro Logicなのではないかという仮説を提唱している。例えば、Windowsに標準添付されている"仮想サラウンド"エフェクトはPro Logicデコーダ向けであるとドキュメントにある。

This is done in a way that allows the transformed signal to be restored to the original multichannel signal, using the Pro Logic decoders that are available in most modern audio receivers.

Windowsの仮想サラウンドは以下で検討するものとは逆方向(マルチチャンネルを2chエンコードする)だが、この手の野良サラウンドは見回してみると様々なシステムに実装されている。

ステレオ音声を自然な広がり感を持ったサラウンドで再生する機能です。


(2ch音声のサラウンド化は"ワイド"と表現されている)
VIZIOのように、サラウンド化にdts TruSurround(これも元々はSRSのもの)を使用していると明記し、サラウンド化システムを開示しているものは実は珍しい。日本の家電メーカーは独自のサラウンド化に関する取り組みを行ってきた歴史があるためと考えられる(対して、VIZIOは比較的新興のファブレスベンダである)。大抵の家電は独自研究によるよくわからない"サラウンド化"、つまり、野良サラウンドを備えている。
これらの野良サラウンドはPro Logicコンテンツによく働くのではないかと期待できる。サラウンドコンテンツの重要な供給源は映画であり、その映画で多くのシェアを取っているマトリクスサラウンド方式がドルビーサラウンド、これを元にした民生用規格がPro Logicという歴史的な経緯が有る。既に壮大な伝言ゲームになっているが、少くとも、これに反する(Pro Logic音声で顕著な破綻のある)実装は見つけられていない。