OpenDocは何故流行らなかったのか

超微妙なスター・ウォーズのパクリで始まる衝撃のOpenDocプロモーションビデオ。
OpenDocは、アプリケーションを徹底的に小さく目立たなくし、書類の"型"におしこめていた。OpenDocのドキュメントは、アプリケーションの"新規作成"ではなく、"ひな形"をコピーし、他の種類のドキュメントをドラッグ&ドロップすることで作っていた。
プロモーションビデオの中でMSのOLEと比較しているが、OLEはActiveXになり、COMになり、.net Frameworkになった。対照的に、OpenDocは単純に消えて無くなった。(TaligentすらICUを残したのに!)

目の前の問題を解決しない複雑な仕組み

仕組み(API)が普及するかどうかは2要素の組み合わせと言える:

  • 単純か?
  • 目の前の問題を解決するか?

両方の問がNoなら、その普及は非常に困難と言える。OpenDocは残念ながら複雑で、既存のアプリケーションのパラダイムとの明らかな違いを生み出せなかった。
なので、OpenDocが普及するためには、OpenDocが解決する問題を目の前の問題として人々に認識させる必要があった。↑のプロモーションビデオで、OpenDocがどのような問題を解決するかを理解できるだろうか。
(同じ事は他のドキュメント指向システム - 超漢字にも言えるが、超漢字の方がこの方面に対してはマシだろう。)

"機能"は買われない

人々はお金を出してアプリを買う。今でこそスマートフォンで当たり前の光景だが、OpenDocの世界ではアプリケーションは存在が希薄になる。OpenDoc世界では全てのアプリケーションがプラグイン程度の扱いになる。
... もちろん、一部の人々はお金を出してプラグインを買う。しかし、例えばVSTプラグインの殆どが独自のUIを提供しているように、プラグイン市場であっても存在が希薄にならないように努力が払われている。

今でも必要か?

= MS Office以外のオフィススイートが必要か?
結局、多くの人々はMS Officeのワークスタイルに適応してしまった。HTMLによるスマートドキュメント(HTMLアプリケーションを内蔵した、Webブラウザで参照できるドキュメント)は多少可能性が有るが、それ以外の方向性では、そもそも多くの人はアプリケーション間の連携はあまり求めていないように思える。
それでも、現代にOpenDocの必要性や普及方策を考えることには意味がある。
今でこそコンテンツ/アプリケーションの混在したスマートフォン(風)のコンピューティング文化は黄金期を迎えている。しかし、プラットフォーマーが(ゲームのスコアとかでない)"本当のデータ"を支配しようとしたときに、データの自由を守るためにはOpenDocのような開かれたドキュメントフレームワークとそれを活用したワークフローが必要になるからだ。我々はOpenDocに蜜をかけ、人々に食べさせる方法を考えないといけない。